先日久々にサックスのネットを見ていてSelmer からReferenceっていうラインナップを発見した。随分前にリリースされてたみたいで楽器屋としてズカシイハではあるが何より驚いたのがSelmer社の英断!自社の以前のモデルをリイシューするなんて事、日本じゃ絶対考えられない。過去の完全否定が専売特許の某楽器メーカーからすればこれは信じがたい愚行にみえるに違いない。
でもいまだに汚い中古のサックスが世界一高額で販売されているのも事実。そこでこういったリイシュー・モデルが企画されたのだろうがメーカーとしては「進化」という名の「手抜き」を堂々と行ってきたツケがまわってきた訳で、非常に複雑な心境であるはず。にもかかわらず、あえてこのラインナップを発売した事は素晴らしい快挙だと思う。
実際問題、カメラにしろ楽器にしろ「工芸品」がいつのまにか「工業製品」に変化してしまった現在、過去のモデルが人気を集めるのは当然であって、それらの個体には操作性などの種々の問題点を越えた、モノとしての作りこみの美しさや完成度がある。そしてそれら昔のモデルが最も、現在のものと違うのはその「描写」であり「音」なのである。テクノロジーの進化って、逆に人間をプラスティック化してしまうのだろうか?人間が感動する最も大事な要素がどこかへ行ってしまっている気がする。
トランペットと違いサックスは「進化」の度合いが強烈で、各種専用キーや管体デザインなどが劇的に変化し誰にでも同様の演奏性が得られるように「進化」し続けている。反面その複雑化した操作性のコンディションにガンジガラメになってしまい「音」そのものが忘れ去られてしまっているのも事実だろう。キーのタッチやバランスなどに異常に神経質な連中が多く、彼らのショボイ演奏の言い訳は決まって,”G#キーが高くて・・・””オクターブ・キーのかえりが・・・”などのハード面のせいとなる。彼らは結局楽器に「使われて」しまってる訳。
何度もいうように楽器はあくまで奏者が「歌う」為の道具であって、「楽器学」がすべての目的であるはずがない。結局のところその奏者そのものが試されるのだということを自覚しなけりゃ人を感動させるなんて事は土台無理な話。
そんな意味でも管楽器の分野にもこのリイシューの動きが、音楽そのもののクオリティーを向上・再認識させるきっかけになっってくれるのではと凄く期待している。
それにしても販売する側もそのへんの事をもうちょっと理解してほしいもの。そのReferenceについて在来のとどうサウンドや構造が違うのかを尋ねたところそこの「支配人」からの返事が、「Uに比べると、何とも言いようが無く最高です。「言い感じ」で、あれのサウンドがこう良い具合に響きますねぇ。持った感じもかなりいいです。」(原文のまま)
これじゃあ「支配人」でなく「死廃人」だよなあ。結局何もわからず販売してしまう恐ろしさ!買い手の皆さん、気をつけましょう!