先に届いたのがこの"Bravura S"のBrushed Silver Plate。



先ずレシーバーの飾り!最初は消しゴムみたいなオモリから始めて、それを吹きながらどんどん軽くして行ったら最初の三分の一くらいの重さになった。次にベルとレシーバーを繋ぐ支柱を板状にして、これもレシーバーと同じくどんどん計量化して行って、最後に効率の最も良い厚みと重さの数値が出る。そうやって全てのパーツの最適な重さ、厚み、角度、場所などを執拗に決めて行く訳さ。



さあここからがアメリカ人との感覚の違い、というか「遊び」をどう捉えてるかの違いが出てくる訳で、「じゃその数値のままデザインしちゃえ」!で「ラッパをDecorateする」という感覚が凄いなって思うわけさ。日本人の感覚ではまんまブランクで仕上げてしまうでしょうね。人からとやかく言われるから、とかなんとかかんとかでね。例えばマイルスのモンモン入りのカラー仕上げなんて日本人の発想からは「あり得ない」。ましてやそれをコスチュームに合わせて何色か揃えるなんて未だに無いでしょ



これって思うんだけど、ラッパ吹くって事にかけて「余裕」の有る無しじゃないかって思うんだわ。もっと言えば「自信」の表現。その「自信」があるからこそ「自分」のオリジナリティーが出てくるんだと思うのよ。

例えばネットで他人の楽器や情報にいちゃもん付けるのが生き甲斐の「大家」が氾濫してるのに、その連中の吹く肝心の音は信じられない程「セコい」って事実!彼等独特のオドオドした態度と音はラッパ吹きのそれじゃないんだよな!群れるとスーパーマンなのに、単独だといきなり弱気な「いい人」になっちまって、試奏の時もまったく自信の無いか細い音。オレはこうだ!文句ある?ってのが全く無くなってしまうのはどういう訳?



もっと「熱い」ラッパ、「超個性的」なラッパ、そしてこれは「この人にしか出来ない」っていう「看板」を掲げられる様なラッパ吹きがホント出て来て欲しいと思うんだよね。もっと自分に自信もってくれや!

さてさてこのモデル、Harrelson氏の説く"SWE"とは何かがすぐ判ると思う。常連諸氏の吹く音聴いてても一聴瞭然!音量とパワー、厚みとプロジェクションが!全然違うんだよ!「この人こんなに吹けるんだ」とビックリしちゃう程!

「在来の楽器が如何にエナジーをロスしていたのかが本当に判るよ」という某プレーヤーのお言葉が全てを表してる!とにかく吹いてみな!