未だになんとも生暖かい日々が続いて気味悪いけど、まあ一応秋が来たので撮影には快適なシーズンがやっと来た!って感じでしょうか?

でその作品を毎年この時期、常連さんからいろいろ観せてもらうんだけど、正直「これは凄い!」と感動させられるのがある反面、残念ながら「・・・・・」と絶句してしまうのがあるのも事実。

それって一体何が違うんだろうといつも考えるんだけど、要するに撮影した人が「見えてこない」写真って観る側にも何も伝わってこないんですわ。

夕陽や山、海、花などなど、よくあるベタな被写体でも、それを超えてしまって「その撮影者にしか撮れない何か」がドッカーンと響いてくるもの、感動させられるものがビシビシと伝わってくる「作品」がある反面、何か単なる「記録」でしかない様な、全く何も響いてこないのもある訳。

それって結局その人の「写す」事への情熱、感動はもちろんだけど、最終的には「その人そのもの」が写ってしまうんだと思うんだよね。

キレイな夕陽にしろ、険しい山の尾根にしろ、真っ青な海にしろ、早い話その場でそれを見る方がずーっと感動も大きい訳じゃない。極言すれば誰にでも撮れるんですわ。

ところが「これ絶対あの人にしか撮れない」と思わせてしまうエネルギーの迸ってる写真って、もはやその「被写体」への感動なんて次元ははるかに超越してしまってるんだよね!

よく言われる様に、HasselbladにしろLeicaにしろ、小金持ちの旦那が見栄でレアものばかりをフルラインアップで「ブランド買い」して、ただ何となくシャッター押しただけの写真を自慢しながら「やっぱHasselはいいよね!」なんてやってる人は、別に写真を撮りたいんじゃなくて、その「ブランド」そのものを集めたいだけだと思うんですわ。

「写真」って文字通り、「その人そのもの」が写ってしまう、非常に怖いもの!観る方も「ホンモノ」と「バッタモン」を見分ける力が必要だと最近とみに実感してる次第。

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