オーバーホールの必要性について最近頓に思うのは、ピアノに置き換えると「調律してあることがわからない人に調律は無意味である」という事。
ザイレムのはオーバーホールないしは調整をしてからショーケースに並べるのでその分割高になる。ところがその「違い」がわからない人にとっては「大きなお世話」となる。
よってこの手の方はウチ以外のお店で買われたほうが価格の面で非常に安くかえるので、そちらをお勧めしたい。
調律されていないベーゼンドルファーでも「ヤッパ音がちがうよ!!」などと感激していられる段階ならまだいい。それはそれで幸せだから。
しかしながら、調整されてないモノをを「ピンがこない」「露出がバラつく」などとあたかもハッセルそのもののせいにされたのでは、ハッシー・フリークとして黙ってられない。
ミラー角度がデタラメでも一秒がやたら長くっても、それが「安い」からというだけの理由でハッセル購入を決めたアンタの責任なんですよ、それは!
昔のコラムじゃないけど、ハッセルを使うにはそれなりの作法と覚悟が必要で、金と手間を惜しんでは何も得られない。それはハッセルはもちろん趣味のすべてにおいていえる事で、「セコイ生き方」は「趣味」には通用しないという事。楽器にしろカメラにしろ、ひとつのモノと関わるにはそれが造られた膨大な時間と金、そして製作者の情熱をも継承するということなのだから。