ハッセルブラッドの場合、幸いにもライカファンと違い「実際に」写真を撮る人が多い。「元箱。元封」の、中身が本当に入っているのかどうかも確認できないライカを大枚はたいて購入し、ひたすら値上がりする時期をじっと待つといった不埒者は少ない。しかしながら近頃のカメラ関連の情報の洪水によって完全に「洗脳」されてしまい、まんまとそのマニュアル通りに価値観を刷り込まれてしまった信者が蔓延ってきたのも事実である。今回はこの手の「妄想」の一部を紹介してみようと思う。
 
「レンズはTスターでなきゃダメ」?
この場合ほとんどの人がTスターが何で、どういう効果がそれによって得られるかを皆目理解していない。とにかくそれでないレンズは全否定されてしまうのだ。確かにコントラストの高さや発色の鮮やかさ、そしてハレーション等の面においてTスターの優位性は誰もが認めるところ。特に広告・宣伝等の分野で「仕事」としての撮影にはその効果が存分に発揮され、数々の名作が誕生したことは周知の事実。しかし一方で独特のコクのある発色、肉眼でみた情景に近い描写のノンTスターをそれらの作品によって上手く使い分けられているのも事実なのである。秀吉の様に金ピカの茶室のなかで「侘び・寂び」の茶道を楽しむといった離れ業のできない私の様な凡人にとって「使い分け」は絶対必要なのである。それ故「どちらかでなければならない」というのは全くナンセンス。自分にとって「どちらが必要か」で選択すべきである。

レンズのキズ

レンズ購入時、ペンライトとルーペで徹底的にキズやホコリ、カビ等をチェックし、針の先程のキズを見つけるとまるで「鬼の首を獲った」かの如く狂喜乱舞する人がいる。大体20年以上も前に作られたレンズが新品の状態を保っている訳がない。この手の方は新品を購入すべきなのである。「このキズは作品づくりにとって致命的」だそうだ。そこでその「作品」をみせてもらうとこちらの腰がぬけそうになった。レンズの心配より写真そのものの心配をすべき凄まじいものだった。最近非常に気になる事があるのだが、それはこの手の「新品愛好家(?)」を中心として、レンズを簡単に研磨してしまうユーザーが増えた事である。現に私も完全にピントのこないものを入手してしまった事がある。こんな事が蔓延すると最近のライカの様にオリジナルが一体どれなのか全くわからなくなってしまう。「自分のモノだからいいじゃないか」と思うかもしれないが、その所有権を行使できるのもその人の生きている間だけ。たかだか数十年のリースでしかない訳だ。後の世代のハッセルファンにとてはたまったものじゃない。大体キズやカビによる弊害を云々しなければならない程の作品を撮らなくてはいけない状況下におかれる事等、特にアマチュアにとって皆無であるはず。そもそもよほどの
重傷でない限り描写に影響のでる事はない。それより、積極的に撮影しその「味わい」を体験するべきだと思う。「コレクター」と「愛好家」は違うのだから。

以上、まだまだ話題に不自由しないが、それは又次回に紹介していくとして、ともかくハッセルはコレクションと称して死蔵されるカメラではないし、ましてや投機の対象とされるカメラでもない。あくまで写真を撮る為の「実に考え抜かれた」道具である事を肝に銘じていただきたい。
実際に「使う人」が「使う人」のために、「撮影」という行為のなかでいかにストレスなく被写体に向かっていけるかを主眼として練りに練ってつくられた真の意味での「究極の」カメラなのである。
大体、用途不明(?)のものも含め、あれだけ「痒い所に手の届く」膨大なアクセサリーを擁したカメラが他にあるだろうか?フィルターひとつをとってみても、カラー・バランスフィルターだけでも一体どれだけの種類があることだろう。これらは全て使ってみて初めてその有り難さが解るのである。だから、どうか年に何回か空シャッターを切り、後は元箱に入れて防湿庫のなかで眠らせておく様な事は絶対にしないで欲しい。積極的にフィールドへ持ち出し、思いっきり撮影して欲しい。
Victor Hasselblad氏が250mmを装備した500CMをリスト・ストラップでぶらさげ野鳥を狙っている有名な写真があるが、これをみるとハッセルというカメラは氏が自分であくまで「写真を撮る為に」つくられたものである事がわかるだろう。種々の情報は後回しにして、自分で使ってみて、自分で見極め、自分で選択し、自分の写真を徹底的に撮る、これがハッセル・ユーザーの礼儀だと思うから。